松原剣道・剣友会


松剣物語

松剣物語

13.国際結婚

平成17年12月25日に大阪の住吉大社で、スミスさんが結婚式を挙げました。私はこれまでに百回以上も結婚式には出席していますが、これほど本格的な日本式の結婚式に参列したのは始めてでした。日本人の私がスミスさんのお陰で日本の伝統文化の壮麗さを体験させてもらったのです。

スミスさんが弁護士になって、次に目指した目標は、日本人の奥さんをもらうことです。そんな彼が、「先生、日本には日本人らしい女性がなかなか居ませんね。」との口癖だったのが、ようやく見初めた彼女は、奈良出身のとても日本人的な素敵な女性でした。

ところで、松原剣道には、これまでも何人もの外国人が稽古に参加しています。参加した誰もが松剣で大変良い経験をすることができた、日本というものを体験することができたと言ってくれています。しかし、スミスさんほど日本に関心を持ち、日本に夢中になった人はいません。現在、スミスさんは剣道三段、居合道三段で、尺八も吹くのです。

スミスさんは子供の時に始めた空手がきっかけで日本に関心を持ったそうです、大学生のときに文部省受け入れのALTとして、1年間北海道に滞在しました。その地域は英語への関心が低く、生徒や先生との交流はあまりできなかったそうですが、剣道を始めたのがきっかけで、人的交流も始まり日本に対する関心がさらに高まったそうです。数年後に、獨協大学交換留学生として再び来日し、剣道に加え、居合道も始めました。そんなある日、私が指導する教職員剣道クラブの稽古に参加してきました。何回かの稽古の後に、大学で行われたあるパーティの席で、スミスさんと私は、剣道のお話をしました。私はスミスさんに、「これから貴方が目指す剣道は、強い剣道でなく、美しい剣道を目指してください」とお話をしました。この話がきっかけとなってスミスさんは松剣に弟子入りすることになったのです。

この頃から、スミスさんは、将来アメリカと日本との架け橋になるような仕事をしたいと考えるようになりました。そこで、彼が目指したのは弁護士になって、日米間のビジネス上での手助けをすることです。そこで、インディアナ大学の法科大学院に進学しました。在学中にも、インディアナ大学に剣道部を創立し稽古を続けていました。私もカナダ滞在中に、彼に呼ばれてインディアナ大学の剣道部を訪問し、部員の皆さんと稽古をしましたが、大変熱心に稽古をされているのを見てとても感心したものです。「私は、将来沢山働いてアメリカに剣道の道場を作って、剣道を教えます」と。そして、「その道場の師範は、南先生です」。私の家に泊まると、決まって朝方まで話し続ける彼は、将来の夢をそんな風に語ってくれました。「おい、それは何年先だ? そんな先まで剣道を続けていられるか」。私も心地よい酔いを楽しみながら彼にそんな風に詰問したものです。

彼は、とても優秀な青年です。しかし、夢を実現するためには大変な努力と忍耐とを要します。彼は並外れたた努力によって一歩一歩それらを実現させきているのです。その影には、彼には、日本人が忘れかけている貴重な日本文化に対する感心があるからなのです。

二人の国際結婚が、将来様々な成果を生んで、日本人とアメリカ人とのすばらしい架け橋になってくれることを、祈っています。そんな夢の実現に松原剣道が多少なりとも役立っているとしたら本当にすばらしいことですね。