松原剣道・剣友会


剣道のお話

剣道のお話

剣道とは
師範 南 雄三
(York University (Canada) November 30,2001)

A.剣道の歴史(1)― 学習手段としての発展

剣道は、日本人の長い歴史の中で培われてきた文化を基礎として、日本人としての社会性を身に付けるために長い時間を掛けて開発されてきた教育形態の一つです。

剣道の起源をたどると、古代まで遡ることになります。国の歴史が始まる以前から、人々が集団(組織)の存続や自らの命を守る為の技術として練習していたものが、剣道(剣術)のもともとの起源です。特に15世紀から16世紀にかけては、日本は多くの小国に分かれて、戦いを繰り返していました。

この頃には戦いに強い者はどこでも大変貴重な人物と評価されていました。そのために、多くの有名な剣術家が輩出しました。また、現在では世界的な美術品の一つとまで言われている日本刀もこの頃に現在の形にまで開発されたのです。

17世紀になって、日本は徳川家康によって全国が統一されました。徳川家康によって設立された徳川幕府の政策は、その後270年間に渡って国内に大きな戦いのない平和な国家にまで築き上げました。社会が平和になると、人と戦う(殺す)為に訓練していた剣道は、その意味を失い稽古をする人がほとんどいなくなってしまいました。

しかし、世の中は、長い間平和が続くと社会の風紀が乱れるようになります。この風紀の乱れは、政治的にも経済的にも徳川幕府の存続を危うくするにまでなりました。こうした風紀の乱れを正す為の教育手段として、徳川幕府は再び剣道の稽古を奨励したのです。

しかし、平和な社会での稽古の目的は、人を殺す為から、人を生かす為に変わりました。稽古をして相手を打つことは、相手を殺すためでなく、相手を活かす、即ち相手の成長を助けるために稽古をするようになったのです。

徳川幕府は、国民の道徳心の支えとして、儒教を奨励しました。儒教は、中国から伝来した学問ですが、徳川幕府の政策を維持していくために日本人の道徳心の基盤として最も適した学問だったのです。

現在の日本人の社会制度や文化活動(お茶等)の基盤は、殆どこの儒教的精神が基礎になっています。剣道は、この儒教的精神と日本独特の発展を遂げてきた禅の精神を巧みに取り込み、剣道修行の目的を、これまでの人に勝つことから、個人としての人格の育成にまで発展させることに成功したのです。

稽古の方法も、それまでとは全く変わりました。それまでは、木刀で稽古をしていましたが、木刀で稽古をすると怪我が多いので沢山の稽古が出来ません。そこで、竹を割って作った竹刀ができ、さらに怪我の少ないように防具が開発されました。
その結果、剣道は一部の専門家(侍)だけのものではなく、一般市民の道徳教育、精神教育の学習手段として広がっていったのです。

「剣術」は剣を遣って人に勝つ(人を殺す)技術を学ぶものです。しかし、「剣道」は剣を遣って自分の心を磨き、相手の成長を助けるためのものです。剣道の稽古の中で、我々は礼儀作法を学び、稽古相手を尊敬することを学ぶのは、こうした理由からです。

私達は、この方法を「道」と呼びます。これが、現在多くの人達が日本人の文化として愛好し、修行している剣道の起源です。

B.剣道の歴史(2)― 過去の代表的な人々

(1)坂本竜馬、高杉晋作等

19世紀の後半になって、徳川時代の270年に及ぶ歴史が幕を閉じ、新しい近代的な国家である明治時代の幕が開きました。その大事業をなしとげた担い手の多くは、血気盛んな若者達でした。中でも彼らの中心的役割を果したのが坂本竜馬や高杉晋作です。

彼らは、若い頃に大変熱心な剣道の修業者でした。社会を改革するに当たって、どのような障害をも克服する強い意志は剣道の修行によって鍛えられたといわれています。

(2)山岡鉄舟

1,868年、鎖国政策を続けてきた徳川幕府から近代的な明治政府に交替するに際し、日本では大きな市民戦争を経験することなく驚くほどの規律をもって、この改革が整然と実施されました。このことは、世界の歴史の中でも稀有の出来事と評価されています。

その理由は、まさに戦いが起こる直前に、この戦争を中止させ、政権の交代を整然と実施させた一人の人物がいたのです。その人物の名前は、山岡鉄舟といいます。

山岡鉄舟は、戦争が起こる直前になって、幾重にも張り巡らされた敵陣をたった一人で通過して、敵方の大将である西郷隆盛を訪ね、徳川幕府の江戸城明け渡しの約束をするのです。山岡鉄舟のこの行為によって、東京(当時の江戸)は火の海になることもなく、また、多くの命を失うこともなく政権の交代が成立したのです。

山岡鉄舟は大変有名な剣道家で、「無刀流」の開祖として知られています。無刀とは、刀が無いと言う意味です。山岡鉄舟の道場は大変厳しい稽古で知られていました。そして、この道場では、剣道修業の最後の目的は、刀を不要とする、即ち「無刀」まで到達することであるとしていたのです。

山岡鉄舟は彼が創設した剣道の理念を、政権の交替に際して、刀を抜くことなく見事に実践した人物なのです。

(「The Sword of No-Sword」Life of the master warrior Tesshu, John Stevens; Shambbala 1994)

(3)新渡戸稲造

新渡戸稲造は、明治時代になってから、日本人として最初に国際舞台で活躍した最も重要な人物の一人です。UBC(ブリティシュコロンビア大学)のキャンパスにも、「新渡戸稲造記念公園」があることを見ても、彼がいかに国際的な立場で重要な役割を果していた人物かが想像されます。

彼はある時に外国人から、「日本の宗教教育はどのように行なわれているのですか」と聞かれたことがありました。「日本の学校では宗教教育は行なわれていません」と答えると、その外人が大変驚き、「それでは日本人の道徳教育はどのようにして行っているのですか」と聞いたそうです。

その時新渡戸稲造は、自分の子供の頃の教育を思い出して、「日本人の道徳教育の基礎は、武士道にあります」と答えたそうです。新渡戸稲造は、日本社会を構成する社会規範の基礎は武士道精神にあると考えたのです。

その後新渡戸稲造は、日本人の行いを外国人に正しく理解してもらう為に、「武士道」(1899)という本を英語で著し、世界に広く紹介しました。ここには、海外の人達からはとても不思議に思われる日本人独特の行いが、どのような文化的な背景で行なわれているのか、武士道精神がどのような形で日本人の生活の中に浸透しているかが大変詳しく書かれています。

外国人が日本人の行いを理解する上で、大変貴重な文献として、今でも世界中で発行され続けています。日本人は、この武士道精神を剣道と言う教育手段を通じて学んでいるのです。

(「Bushido」the soul of Japan; an exposition of Japanese thought / by Inazo Nitobe ; with an introduction by William Elliot Griffis, 1905)

(4)笹森順造

笹森順造は第二次世界大戦前の大変混乱した世界情勢の中で、国際的に活躍した重要な人物の一人です。

笹森順造は、日本に残る伝統的な剣道流派の中の最も有名な流派の一つである「一刀流」の後継ぎです。
彼は、秘伝書と言って何百年にも渡って門人以外には決して見せることの無かった大切な本を現代語に改めて出版し、多くの剣道家に紹介した人物です。この行為は当時の日本では極めて特異な行いでした。

笹森順造は、さらに海外の人々に剣道を奨励するために、「剣道」と言う本を英語で出版しました。この本は、単なる手引書としてでなく、剣道の専門書として高い評価を得ています。

この本は、現在でも外国人が剣道を正しく理解する上で最も大切な専門書の一つとして、多くの剣道愛好家に愛読されています。

(「This is kendo」the art of Japanese fencing / by Junzo Sasamori and Gordon Warnet,1964)

C.剣道の修業(1)―稽古の心得

稽古のもともとの語原は、古いものを考え懐かしむと言う意味です。したがって、稽古とは、より高い目標を修得するために、古くからの優れた内容に数多く触れ、考え学習することです。

剣道には、上達の目途を示す基準として、「段」という評価があります。「段」は、打ち合いの強さに加えて、正しさ、美しさ、品の良さが求められます。したがって、試合に強くても高段者にはなれません。剣道の美しさ、品の良さは言葉の理解や知識で身に付けることができません。

より良いものを見ることによって各人が理想とするイメージを自らの脳裏に作り、それに向かって長い年月を掛けて稽古をし、身に付けるものなのです。

D.剣道の修業(2)―道場における3つの礼

剣道修業の目的は、剣を遣って自分の心を磨き、相手の成長を助けるためのものです。学習者の大切な心構えは、素直な心と尊敬と感謝の心を持つことです。
それゆえに、剣道では、礼儀作法を重んじ、相手を尊敬するように指導されます。

日本の伝統的な教育形態は、意味を考える前に「形」を身に付けることから始まります。剣道の稽古をする際には、常に以下の3つの礼を行うことになっています。この3つの礼の形を学ぶことが、剣道修業のスタートです。

(1)正面への礼

日本は、もともと多神教文化の国です。したがって、大切なものには総て神が存在すると考えられてきました。

剣道の道場にも昔は必ず神棚が祭られていました。神棚を設置する目的は、誰もが真心に基づいて、安全・無事に稽古ができることの願いが込められています。
しかし、現在の道場には神棚が殆ど無くなりました。そこで、私達は現在「神前に」と言わずに、「正面に」と言っています。

剣道が国際化され、様々な民族の人達が稽古を続けるようになった今、私は、この礼を神に対してではなく自分自身に対する誓いの礼であると説明しています。

(2)先生・先輩への礼

よい学習者になるには、指導者に対する尊敬の気持ちを持つことが大切です。

稽古の語原は、古きを考えると言う意味ですから、初歩の間は、自分でこのようにすれば良いと判断するのではなく、先生や先輩の教えをいかに忠実に実行し身に付けるかにあります。

したがって、私達は、先生・先輩に対して、尊敬と感謝との意を込めて礼をします。

(3)お互いの礼

自分を磨く相手は、先生・先輩に限りません。自分の身の回りにいる総ての人が自分にとっては大切な先生であると考えるべきです。

したがって、仲間同士で稽古をした時も、先生・先輩と稽古をしたときと同様の気持ちで、感謝と尊敬の意を込めて礼をします。

E.剣道の修業(3)― 修業の目標

剣道修業の目標は、以下の3段階があります。

(1)初歩の修業 ― 打って勝つ

修業の第1段階は、竹刀を遣い相手と打ち合って、決められた場所を正しく打って 勝つことです。

剣道では、ポイントとなる個所は、主に面、小手、胴、突きの4箇所です。このポイントとなる個所を、竹刀で正確に打つ訓練をします。

正確にとは、竹刀の決められた部分で、気合を出して、決められた個所を、正しい姿勢で打つことをいいます。これの一連の動作による打ちだけが、ポイントとして評価されます。

私達は、どのような場面でもこの動作が出来るように稽古をするのです。そのために、色々な高度な技術を身につけるのもこの時期です。

この稽古の成果を試し評価される場所が試合です。試合は、公衆の前で各人が修得した稽古内容を高段者の目で評価するものです。したがって、試合は、自己反省のための良い機会になります。

また、試合は修業を続ける上での良きライバルを発見する場でもあります。良きライバルとは生涯の良き友でもあります。

この修業だけで何十年も掛りますが、剣道としては初歩の段階です。

(2)中級の修業 ― 刀を抜いて勝つ

初歩の段階を何十年も続けていると、次第に相手の動きが読み取れるようになり、相手の心の動きに合わせて打てるようになります。そうなると、高度な技術は必要がなく、単純な技術だけで充分に相手を打つことが出来るようになります。

さらにこの修業を続けていると、相手の動きに合わせこちらが打つ気を示すことができるようになり、相手は何をしても打たれるように感じるようになります。したがって、相手は全く打つことができません。そうなれば、自分は刀を構えているだけで充分なのです。
相手は、打たれて負けるのではなく、こちらの打つ気に負けるのです。

この場合の勝ち負けは、他人では分かりません。自分で判断するのです。そうした稽古の後は、相手に対する尊敬の心が残ります。これが剣道修業の第2の段階です。

ここまで行く人は、剣道家の中でも一握りの人達ですが、多くの剣道家はここを目標にして修行を続けています。

(3)修業の最終目標 ― 鞘の内

打つ必要がなくなってさらに修業を続けていくとその先は刀を抜く必要も無くなってきます。鞘に刀を納めたままでも、常に周囲に対して一瞬の隙も無い状態なので、誰もが恐れて打つことができません。その人が立っているだけで誰もが恐れを感じるのです。

しかし、その修業をさらに完成させると、誰にも怖さを感じさせなくなります。誰とも争わず、誰からも怖いと思われなくなります。誰をも愛するが故に、誰からも愛される人になります。したがって、誰も打ってこないのです。そうなれば、刀そのものが必要なくなります。

誰からも打たれることがないので刀が要らない、これを「無刀」と言います。これが剣道修業の最後の段階であります。この姿が真の「博愛」です。山岡鉄舟の創設した、「無刀流」の真意はここにあります。

第1段階の目標は動作の修得ですが、第2段階の目標は心の持ちようを意味しています。この目標までが多くの剣道家が目指す目標です。第3段階の目標は、永遠の可能性を意味しています。剣道の目標は無限です。剣道の大きな魅力の一つは、どれだけ長く修業を積んでも人それぞれに常に自分にとっての目標とするものがその先に永遠に続いていることにあります。

剣道(KENDO)Demonstration
師範 南 雄三
(York University (Canada) November 30,2001)

1.日本剣道形

日本剣道形は、剣道の最も基本的な要素(理合と技)を、出来るだけ真剣(日本刀)での立会いに近い状況で学ぶ稽古です。(「理合」とは打つべき機会を言います)

剣道の稽古は、もともとは木刀で行なわれていましたが、多くの人が稽古をするようになってから、竹を割って作られた竹刀を使って、防具を付けて稽古をするようになりました。

しかし、竹刀だけの稽古が続くと、刀の緊張感が薄れて、剣道が雑になります。そこで、私達は木刀を使った形の稽古を、竹刀稽古と平行して行っています。

形には打太刀(師の位)と仕太刀(弟子の位)とがあります。打太刀は先生の心構えで、仕太刀は弟子の心構えで、剣道の基本的な理合と技の習得を目指して、刀を扱う心構えで、行う稽古です。

2.基本練習

基本練習は、初心者だけでなく、どんなに上達した人でも毎回の稽古で繰り返し行わなければならない大切な稽古です。

剣道の初心者は、防具を付けずに基本練習だけを何ヶ月間も行います。その間は人と打ち合うことはしません。剣道の稽古は、竹の棒(竹刀)で人を打つことですから、正しい打ち方、正しい心構えで稽古をしないと喧嘩と同じで、非常に危険なものです。

また、剣道では相手を早く打つだけではポイントになりません。正しい姿勢、大きな声、正確な部位、その上に打った後の姿勢が美しくなくてはなりません。

こうした打ちを「有効打突」と言います。この「有効打突」の内容は、上達した人程高いレベルの内容が求められるのです。

それが、基本練習が、どのようなレベルの人にも大切な稽古である理由です。

3.地稽古

地稽古は、立場、経験、能力に関わり無く相手と対等な立場で、理合と技術を修得するために行う稽古です。理合を簡単に説明すると、「打つべき機会」のことを言います。

私の考えでは、剣道の稽古は、竹刀という道具を使ったコミュニケーションの場であると考えています。人それぞれに考え方が異なるように剣道の内容が異なります。すなわち理合が異なるのです。

稽古は、この理合の相違について竹刀を使って一人一人と語り合い、新しい発見をします。それ故に、剣道は老若男女、経験の異なる人と稽古をしても興味深く、楽しいのです。

地稽古は、相手を打つことによって自分自身の稽古を反省し、相手に打たれることによって自分の不足を学ぶ場でもあります。

4.試合

試合は、公衆の前で各人が修得した稽古内容を高段者の目で評価するものです。したがって、試合は、自己反省のための良い機会になります。

剣道のポイントとなる個所は、主に面(head)、小手(wrist )、胴(body)、突き(throat)の4箇所です。このポイントとなる個所を、竹刀で「正確に」打った時にポイント(「1本」)として評価します。

「正確に」とは、(1)竹刀の決められた部分で、(2)気合を出して、(3)決められた個所を、(4)正しい姿勢で打ち、(5)さらに打ち終わった後も即座に次の技を出す姿勢を取ること、のすべてが整うことをいいます。

これの一連の動作による打ちだけが、剣道ではポイントとして評価されます。