松原剣道・剣友会


剣道のお話

剣道のお話

団旗「平常心」
揮毫 剣道範士九段 小川忠太郎先生
入魂式 昭和52年(1977年)4月9日 栄小学校体育館
臨席:小川忠太郎先生、五十嵐嘉雄・千代(団旗寄贈者)

「平常心」の教え

松剣の毎日の稽古で使っている手拭には、「平常心」と書かれています。また、大会等に出場するときに何時も掲げている団旗にも同じ文字が書かれています。これは、松原剣道が発足して間もない頃に、小川忠太郎先生が松原剣道のために揮毫して下さった書から作ったものです。

小川先生は、戦前に国士館大学で剣道主任教授をした後、警視庁の師範、全日本剣道連盟の審議委員、同相談役などを務められた先生です。(当時の教え子の中に、森島健男先生、中村太郎先生、楢崎正彦先生、滝口正義先生など特別指導に来られるなど松原剣道と大変関係の深い先生方がおられました)

「平常心」の署名は忠太郎でなく刀耕となっていますが、これは先生の号で、先生はこの意味を「刀は一日磨くことを怠れば、光を失うように、人は一日足りとも努力を怠れば、光を失うものである。このことを自らの指標としている」と、話して下さいました。先生は平成4年1月に91歳で亡くなるまで、まさにその号の通りに生きた剣道家なのです。

全日本剣道連盟は、剣道を良くするためには、試合規則や審判規則の基になる理念を、剣道修行上の指標として制定しました。そこには「剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である」と書かれています。

この剣道理念を制定するに際し、中心となられたのが、小川忠太郎先生と湯野正憲先生です。剣道と共に禅の修行を通してこられたお二人の剣道観がこの短い言葉の中によく表されています。小川先生は、日本の剣道界の理論的面での支柱を担ってこられた方なのです。

私が松原剣道の指導を始めた昭和48年に、指導上の指針を求めて小川先生の門を潜ったのです。

先生は大義塾の門弟である私を、大変快く迎えて下さり、少年指導の心構え、先生の剣道感など長い時間をかけて色々とお話をして下さいました。
先生からの連絡をうけて、私が次にお伺いした時に、先生は松原剣道のために「平常心」を書いて待っていて下さったのです。

私が子供達にこの書の意味をどのように説明したらよいかお尋ねしたところ、

「平常心は、私にもできないことですから、子供に説明しても無理ですよ。ただ、毎回の稽古で〃平常心〃〃平常心〃と教えていればいいのです。そうすれば20年も稽古をしていると、平常心という言葉を知らずに稽古をした人と、知って稽古をした人とで差がでてくるのです。」

とおっしゃられました。
そして少し間をおいて「強いて言うならば…」と言って次のような話をして下さいました。

「大麻先生(範士十段)が亡くなられる直前に病室にお見舞いにお伺いしたところ、先生が『小川先生、平常心って、なんでしょうね』と私に訪ねられたのです。癌でもって今にも死にそうになっておられる状態で、十段の先生が私に尋ねたのです。

私は『先生がお分りにならない平常心の意味を私が分るわけはありませんが、もし、先生が今の状態を嬉しいと思えたらそれが平常心なのではないでしょうか』と答えたのです。

南君、平常心ということはそれ程難しいのです。最も人間が辛く苦しい状態の中でも、その状態を嬉しいと喜べる心ができたらそれが本当の平常心なのでしょうね。」

とおっしゃられました。

小川先生が亡くなられて数日後に、私と増田先生とで先生の御宅にお伺いしてお焼香をさせて頂きました。
その時に先生のご霊前には、「我が胸に剣道理念抱き締めて 死にゆく今日ぞ楽しかりける」という辞世の句が貼られていました。私はそれを見て、先生がかつて私に説明してくださったお言葉通りの生き方をされたことに言葉に表せない程の驚きと喜びを感じたのです。

先生は何時か私にこんなことを話して下さったことがあります。

「剣道の修行には、3つの段階を経なくてはなりません。
最初は剣道の中でこれほど恐いものは無いという経験をすることです。これは18歳から20歳ぐらいまでに経験しておくことです。稽古中に相手を少しでも恐いと思っている間は次に進めません。
2番目が術を研究することです。これを20年はやりなさい。どんな術も通じない人が居るということが分かるまでは迷わずにこれを続けるのです。そうして、術が終わったと思ったら、最後は愛をもって剣道をしなさい。
この愛は母親の愛ではありません。誰をも愛せる愛、即ち大愛と言われるものです。ここまで来れば剣道も本物です。」

私はこのお話しを聞いた時から、松原剣道の指導理念は「平常心」にしたいという確かな思いを抱いたのです。二十年誌の編集を機に、再び先生の御宅にお伺いして、先生の生前そのままのお部屋で、奥様やお嬢様と親しくご懇談させて頂くことができました。
奥様やお嬢様のお言葉の端々から先生の優しいお人柄と優れた剣道家としての生き方を沢山お聞きすることができました。

そうしたお話をお聞きする内に、亡くなられた現在も小川忠太郎先生は、私達松原剣道にとって何人にも代えがたい貴重な先生であるという思いをさらに強くいたしました。今後も、先生の教えを大切に守って一生懸命努力していきたいと思っております。

南 雄三 記